イセヒカリは、平成元年に伊勢神宮神田で発見された新種の米です。

 台風ですべてが薙ぎ倒されたコシヒカリの田に たった二株立ち残っていた黄金色に輝く稲を育ててみると、 驚くほど坊害虫や風雨に強く、 収穫が多くて味も抜群に新しい米とわかり、 神宮より「イセヒカリ」と名付けられました。

 しかし、登録品種でも、奨励品種でもない為、公の市場に流通する事はなく、原種の保存も種籾の生産も公的機関は一切関与しません。農協も正規には扱わない、公的には作れない、売れない、買えない米なのです。

【美味しい食べ方】
 イセヒカリは硬質米で、研いですぐに炊くと硬くてぼそぼそとしたご飯になってしまいます。できれば6時間以上水につけてから炊いてください。お急ぎの場合は、お湯に1時間半ほどつけてから炊いて頂いても良いようです。  数回試されて、お好みの加減を見つけていただければ幸いです。



【イセヒカリ誕生物語】

*以下神社新報平成8年4月15日号「続・クヒモノジー」食と日本人16 より。
原文は古来の文字使いをしてありますが文字のみ現在のものに替えてあります。



神宮神田で生まれた「理想の稲」
 平成の御代替はりと時をあわせたかのやうに、神宮の神田で、飛び抜けて有望な稲の新品種が「コシヒカリの突然変異」で誕生した。味のよさで人気のササニシキやコシヒカリは、反面で背が高く、倒伏するのが最大の欠点とされる。  

 だが新品種は倒伏しにくいばかりか多収性、耐病性があり、味がコシヒカリ以上に抜群で、「理想的な品種」と農業の専門家をうならせる。 「御鎮座二千年」を迎へた神宮では一月中旬に少宮司が「イセヒカリ」と命名、この春から本格的な栽培が始まるといふ。

 神宮ばかりではない。本州の西の果て、山口県では各神社の神餅田や篤農家のあひだで、栽培が一気に広がる気配がある。なぜ伊勢であり、山口なのか。興味深いのは、新品種誕生と展開に人知を超えた意志が感じられることだ。
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二度の台風襲来にもめげずに直立する「コシヒカリの変種」

 平成元年の秋、伊勢地方を台風が二度もおそった。被害を受けたのは神田も例外ではない。「西八号田」に植えられたコシヒカリは完全に倒伏した。神田事務所の森晋氏は「別名コケヒカリといふくらいで倒伏しやすいんですわ。多収を期待して窒素肥料を多くやるとますます倒れてしまふ。」倒伏すれば収量は減り品質は落ちる。  

 ところが、昭和六十一年からコシヒカリを連作してきた西八号田の中央に、二株並んで直立している稲があることを台風一過の朝、森氏が発見した。必ず一日に三回、圃場の見回りをする森氏が見逃すはずがなかったが、これが後に「いせひかり」と命名される「理想の品種」とは「予想もしなかった」  確かにコシヒカリよりも稈が太く短い。耐倒伏性があるのは、好ましい。しかし長年農業改良普及員を務めてきた森氏の経験では「藤坂五号のやうな多収でも味が劣る」稲に見えた。
 
 成熟するにつれて見方は変わる。コシヒカリのくすんだ色とは違って「熟色がみごとな黄金色」なのである。「だいぶ違うな」と感じた森氏は試験栽培を試みる。コシヒカリの株から生まれ、収穫が一週間遅いため「コシヒカリ晩」と名付けられた稲がこうして日の目を見ることになる。  
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 「理想的な新品種」であることを森氏が知るやうになるのは、もと山口県農業試験場長の岩瀬平氏との出会ひからである。 岩瀬氏は山口県庁に勤めて、農政畑を歩んだ。県農試を二年間、務めたのを最後に昭和五十四年、定年の退官。県神社庁町の佐伯虎之進氏とは営農技術研究所(現・県農菜大学)所長時代からの昵懇の仲。  

 定年後、「神社こそ伝統的な日本農業のあり方が受け継がれているのでは」と考へ、神社庁の講習で直階を取得。古典に精通する信仰の人でもある。  平成二年三月、岩瀬氏は神宮に詣でる。昭和天皇御崩御が、学徒出陣以来、生涯二度目の三詣を思ひ立たせたのだ。

 同じ日、生まれて初めて神田を訪れる。三重県の農業振興に尽力してきた森氏との会話ははづんだ。 参考品種田で栽培される中国黒米丹後古代赤米には興味を覚えた。帰りしな、黒米と赤米が分譲される。

反収「軽く十俵」 食味値「87」

判定に稲栽培の第一人者が結集

 平成の御代代はりの前後、神田では稲の新品種が立て続けに二回生まれている。 二度目はコシヒカリ晩だが、一度目は昭和六十二年、試験栽培中の丹後古代赤米に十株ほど点在するやうに出現した、熟成が一月早い短稈早生だ。  神宮参拝から帰宅した翌朝、山口市内の自宅でころび骨折で入院。見舞ひにきた試験場の後輩に森氏から分けてもらった赤米の種籾をあづける。

 森氏から短稈早生の出現をきいていたから、これが新種だと信じ込んでいたが、「秋になると短稈早生どころか倒伏した」と笑ふ。大嘗祭の翌年、神田の赤米で苦心して延喜式に基づく白酒・黒酒を醸造する。  その後、平成六年の夏、岩瀬氏はひょんなことから「神田のコシヒカリに変種が現れた」ことを知る。さっそく森氏に「分けて欲しい」と頼んでみたが、「神聖なお米ゆえにお断りせざるを得ない
」といふ返事。
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 ところが、秋になって、大きな段ボール箱が送られてきた。コシヒカリ晩の根付きの株六株と玄米で、手紙には、「評価をお願ひしたい」と記されてある。だがもともと行政畑の岩瀬氏に稲の判定はできない。  後輩の内田敏夫氏がやって来た。やはり元県農試の場長で、県内随一の稲専門家。

 イセヒカリ物語には、奇しくも山口県の稲栽培の第一人者たちが結集しているらしい。  「この稲は見事に作られていますな」   神田で丹精込めて栽培されたコシヒカリ晩は、穂長が、第一節間長の半分に及ぶことに内田氏は感嘆の声を上げたという。「見事な稲を見せてもらって今日は気分がいい」 内田氏は詳しい調査のためにひと株のコシヒカリ晩を持ち帰った。  

 岩瀬氏は「突然変異かどうかは、断言できない」としたうえで、「籾の形がコシヒカリの親である農林一号に似て小粒で丸い。芒が紅色をおびていないのは一号と異なる。茎が太いのはコシヒカリではない。」したがって、「変種であることには間違いない」という

 食味試験では、驚いたことに阿東町の県農試徳佐文場産コシヒカリ並の79が出た。 阿東町は島根県境にあり栽培条件が伊勢に似る。70以上が県の奨励品種で79は、かなりおいしい部類になる。「何度測り直しても食味計は同じ値を示した。」

 一穂当たりの粒数や千粒重から反収と推算すると軽く十俵を越える。内田氏から検査結果を知らされた岩瀬氏が驚いたことは想像に難しくない。森氏は、「岩瀬さんの手紙を読んでびっくりした。」とくに食味の良さは。「神様にさしあげる米で食べることができない」から衝撃だったようだ。
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農家が注目

 平成7年岩瀬氏たちは実際に水田で耕作する。4人の篤農家が選ばれ、栽培が委託された。その一人長門市の宮本孟氏は長門一の宮・住吉神社(下関)の御田植祭の苗作りを三十数年にわたって奉仕してきた篤農家得体の知れないような稲だとしたら、わざわざ作ろうとするはずはないからやはり魅力的な稲株だったのだろう。

 植え付けてみて驚いた。「コシヒカリ晩といふから山口県でコシヒカリの次に収穫されるヤマホウシと同時期の稲と思っていたらヤマホウシどころか次のヤマヒカリよりも遅い。日本晴と同時期に収穫される中生(なかて)だった。水が落とされコシヒカリが収穫されたあとも、となりのコシヒカリ晩はまだ成熟しきっていない。水田では30センチもある稲が重く頭を垂れる。

 「栽培を全て間違った」のに一穂籾数は、125.100以下が普通というからすごい。反収に換算すれば籾で1トン。玄米で800kg実に13俵に相当する。「やりそこなひでも軽く10俵を記録した。絶対に倒れないから機械化に対応する。昨年はヤマホウシ、ヤマヒカリに稲熱病が発生したが、病気はなかった。耐病性もありさうだ。

 食味値では、最高で87を記録した。食味値の70と80は、人間では判別がつかない。食味は充分に保証出来る。しかも熟れ色がいい」四拍子そろった最高の新品種を、しかも篤農家が試験栽培する米を周りの農家が注目しないはずはない。「なんとかいひ逃れをいってこの冬を過ごした」といふ。
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一月中旬、少宮司が命名 

神田で本格栽培始まる。 「これほど有望な米が、いつまでも仮の名ではいけない。」岩瀬氏は、森氏や佐伯氏に熱っぽく訴へる。神宮に直接掛け合はうとした矢先の今年一月十六日、「イセヒカリ」の名が付いた。

 酒井逸雄少宮司は「聖寿無窮を祈念申し上げ、皇大神宮御鎮座二千年を記念して命名した」と語る。平成元年に生まれたイセヒカリは今年、表舞台に登場することになった。神宮神田二町九反のうち今年は水田三枚、計四五アールで本格栽培され、神宮祭から神前に供される。神田では今後イセヒカリを主体に栽培され、逆にコシヒカリは姿をけすさうだ。

 「恐ろしい稲」

 イセヒカリの誕生は単に優良品種が生まれた以上の意味を持っているやうだ。岩瀬氏がいふ。「この稲は恐ろしい稲です”人を選ぶ米”だからです」。窒素を穂に蓄積するタイプで、出穂から登熟までの期間が十日ほど長い。

 二次枝梗籾数が多く、丹念に育てて稔らせれば、反収は伸びるが手抜きをすると青米が増えて逆に品質ががくんと落ち、反収1トンにはならない。「作りやすいと思ってカネ儲けでかかったらとんでもないシッペ返しを食らふ」。だからこそ岩瀬氏は「これからの米に求められる性質を全て備へた稲が。かふいう時代に神宮の神田で現れたことにただならぬものを感じている」。
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農業はカネの論理ではなく、命の糧を神の恵みとしていただく命の産業だ。

 その原点を見つめ直さなければならない。しかし口を酸っぱくして訴へても”カネの世の中”にどっぷり浸かった現代人には馬耳東風だ。そこへ誕生したのが。優秀な品種だがカネ儲けには最も不適切なイセヒカリ。農業の原点に帰らなければ、逆に収量も味も期待できない米の出現。これを天啓といはずしてなんだらう。−岩瀬氏はさういひたいらしい。

 斎庭稲穂の神勅さながらに、イセヒカリが神宮神田で生まれたことを「大神様の御神慮」といふ人もいる。しかしもし御神慮といふならば、今後は神の声を聞いた者の責任が生じてくる。御神慮を聞き流してはならないはずだから。佐伯氏は兼務社の神撰田で、今年はイセヒカリをつくらうと意気込む。お田植えには例年どほり多くの子ども達が参加する。

 「米は日本人の命そのもの。農地は削られ、農家は減っていく。危機的な日本の農業だが、イセヒカリから曙光が見えてくるかもしれない。神宮で生まれたのはまさに御神勅ですよ。伊勢で生まれた米だから神田で植えるのが最適。御田植祭復活の引き金にもなる。農家のためにも広めたい」。

 山口県では御田植えにイセヒカリを植える神社がかなり出てきさうだ。宮本氏のやうに「今年は一反歩作らうと思っています」と意欲的な篤農家もある。内田氏は「検討に値する稲だ」とあくまで慎重だが、県農試では本格研究が始まるらしい。種籾の奪ひ合ひもおきさうな気配だ。伊勢の神田で誕生した稲が「西のお伊勢様」の地で広がらうとしている。

 −ここにも目に見えない何者かの意志が働いていると見ることができないか。
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 後に、全国の有意の人たちにより希望され申し出により、神宮司庁により各神社に約1升宛て配られ、それを有志の農家さんがさらにそれを分け合い、さらにその籾種がまた有意の人に受け継がれ、この奇跡の米を育み実らされたのです。

 私達もその幻の米の種籾を譲って頂き今年も契約農家さんに神稲イセヒカリ栽培に取り組んでもらいました。

今年の試食感想は、「甘くてお米らしい味がする」「後から甘みが口に広がる」など上々でした。この機会に是非お試し下さい。